
いくつかツッコミ所があるのでツッコむことにしました。
改革の進め方
エスカレーター式ではない
共産党を政権に入れたら、知らぬまに共産主義に? まったくのデマです。 ●社会の発展は、階段をあがるように一段一段とすすむ。 ●その階段をあがるかどうかは、選挙でしめされた主権者=国民多数の意思で決める――私たちのゆるがぬ方針です。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p9
いえ、むしろ税金の無駄遣いを無くそうと維新と張り合って予算カットで争う形で新自由主義を加速させると思ってます。
党を挙げてイチオシにしている政策であるジェンダー政策も、
結局財政トリアージの手段にされた。
私としてはそんな目的のために綱領改定に賛成したわけではありません。
「国民が主人公」をつらぬいて
「(日本共産党は)彼らの意思より国民の判断を上位に置いている」(作家・中村文則氏2021年12月2日付「毎日」)─私たちは、日米安保条約や自衛隊はもちろん、社会主義・共産主義もふくめて、選挙での国民多数の判断をふまえて、改革の階段をあがることを大方針にしています。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p9
資本主義から社会主義・共産主義へ移行する階段をあがる過程にケインズ系の理論があるのですが、これには真っ向から否定する。
つまり、道半ばの中間体の存在を許していないのです。
何か先を急いでいる印象を受けるのです。
党員が高齢化し、我々の世代で達成したいという焦燥感でもあるかのような。
着実な前進ではなく、一気に事を進めたいという姿勢を感じるのです。
どんな場合も平和的・合法的に
日本共産党は、「暴力革命」とまったく無縁です。公安調査庁が70年以上調べても何もでてこないことが証拠です。私たちは、どんな場合でも、平和的・合法的な方法で社会を変える党です。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p9
確かにその通りでしょう。
ただ、今の共産党は過激なフェミニストと連帯するためにその実現のためには「暴力革命」の封印を解いてしまわないかと危惧はしますよ。
民主集中制
方針を決めるときは民主的に議論し、行動は統一して国民への責任を果たす─近代政党なら、あたりまえのルールです。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p10
ここも主要な問題です。
運用を誤ると、秩序を守ることが目的化して多様性を許さない全体主義に陥ります。
民主的な党運営をなによりも大切に
規約は、党内で自由に意見をのべる権利を保障しています。党大会で決める方針案は、2カ月前に全党員に配って討論。少数意見も特別の冊子をつくって内外に公表――この〝徹底討論〟が、党の方針を豊かに発展させています。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p10
これ、ウソですね。
上野千鶴子や仁藤夢乃らと連帯することについて意見を述べる機会をもらっていません。
そもそも問題になっている所は党大会の俎上にあがっておらず、後からトップダウンで事が進められた事象ばかりです。
2021年8月に起きた小田急線事件の後でコメントした山下議員のツイート炎上の対応についても意見を述べる機会をもらっていません。
あの件の対応が、一体誰の顔色を窺って政治をするつもりなのかと党へ不信感の起点になっている。
あの件に関しては離党してでも山下議員を庇うつもりだった。
言葉を選んでおり、落ち度はなかった。
「同性愛の否定はまちがっていた」と大会で表明
ジェンダー平等を綱領に書きこんだ3年前の党大会では、「過去に同性愛を退廃とした誤りを認めて」という意見がだされ、「これは大事な問題提起だ」と議論になり、間違いであったことを大会の意思として表明しました。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p10
問題は綱領改定から1年過ぎたあたりからです。
ジェンダー平等を勘違いして女性に生殺与奪の自由を授けるというおかしな方向に振れているのを問題視します。
綱領の改定そのものに問題があるのではなく、改定された綱領の運用について問題があるのです。
ルールに反したら
規約を無視して、党の外から攻撃したら処分される。自民党の党則でも明記する当然の対応です。
https://www.jcp.or.jp/web_info/html/2023gimon.html#p7
離党して党の外に出たら規約に従う謂れはありません。
なぜ離党しても規約に従う必要があるのですか。
それは党の間違いを指摘し、批判することを許さないからではないのですか。
批判を攻撃と解釈する、そこが問題なのですよ。
「無謬の存在でなければならない」という意識が強いからこそ批判と攻撃と解釈して敵意をむき出しにする。
どうして無謬である必要があるのかというと「常に人の上に立つ存在でいる必要がある」から。
「この馬鹿な国民たちを正しい方向に導いてやるのだ」という上から目線の意識がどこかにある。
これが鼻に突くから忌避されてきた節も否めません。
ある種の「意識高い系」にありがちな他者を見下す傲慢さがあると言えます。
悪いですけど日本共産党は国の借金問題を前面に出すことで、財政政策が緊縮財政に向かっているのは明白です。
この緊縮財政が非常に問題で、この緊縮財政政策こそが新自由主義を推進する政策他ならない。
真剣に新自由主義を止めたいのであればこの緊縮財政政策を止めて積極財政政策に反転攻勢に出る必要があるのです。
新自由主義を止めたいという意志がブレていないからこそ、共産党に対して懐疑的なったんです。