同姓に拘るというのではなく、逆に「完全別姓」でという意味
そもそも旧民法が制定される以前は夫婦別姓だった
法務省によると
明治9年3月17日太政官指令
妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。明治31年民法(旧法)成立
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html
夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
夫婦同姓は1898年(明治31年)の旧民法が制定されて以降からのもので、
それ以前は夫婦別姓だったことになります。
そもそも平民に氏の使用が許されたのが明治3年(1870年)と150年余りしかない。
旧民法制定以前の歴史を無視して「伝統」を根拠にするのは笑止というもの。
似非保守たちが「近代の都合の良い価値観」だけを抽出して「伝統」と称するのはよくあること。
「『大日本帝国』の栄光を取り戻す」という
戦前復古主義が価値観の核にあるんでしょうから明け透けなんです。
「美しい国」像もその旧体制に求めているのでしょうし。
この経緯からしても「夫婦別姓」とすることに何ら異議はありません。
問題なのは「選択的」が機能させられるかという懸念の方。
別姓に固執するフェミニストの圧力が「選択的」の意義を毀損する
選択できるのであれば「別姓を選ぶべき」だとしてくるのが問題になります。
自由に選べるのであれば別姓を選択することが「合理的選択」とフェミニストが位置付けるので、
自由であれば皆そうするべきだという結論に至ると見ています。
故に「別姓を選べるのになぜ同姓を選んだのか」ということを厳しく追及されてしまいます。
この追及が結果的に別姓を選ぶような圧力になってしまい、
これでは「選択的」の意味を為しません。
そうであればいっそ別姓で固定しておいた方が無駄な騒ぎが起きないと判断しかたらです。
完全別姓で問題になってくるのは子どもの姓をどうするか
この問題は完全に夫婦別姓を採用している韓国でしばしば問題になっており、
子どもの姓を巡る紛争が起きています。
ましてや韓国では少子化が深刻化しており、子どもが1人産まれるかどうかも
心配しなければならない程になっているわけですから、産まれてきた子どもの
姓を巡る紛争が激化しそうな感があります。
最近のフェミニストの運動では韓国の後追いになっている傾向が見られるため、
その運動で生じた諸問題の影響を韓国から見て取れる面もあるので参考に見ていますが、
若年層を中心に男女間での対立が顕著になってきた様子が窺えるので、
この点について分析してみたほうが良いのかもしれません。