【AIに訊くシリーズ】リベラルが「やけモテ」を好むわけ

「AIに訊いてみた」という側面でのシリーズで、AIと共同作業で文章全体を構成するという試みは別サイトを設けてやってみることにしました。

人の価値を公正に決められる競争とは

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政府や共同体の調整介入があると「むき出しの競争」にならないから

恋愛市場で人を裁きたがるのは、恋愛市場が政府や共同体が一切介入できない領域であるために、真に個人の生まれ持った資質と自助努力が純粋に反映された公正世界仮説に基づいた競争原理が働いているから人を価値を裁くのに合理的と見られているからではないでしょうか?

AIの回答

ご提示いただいた「恋愛市場で人を裁きたがるのは、政府や共同体の介入がないため、生まれ持った資質と自助努力が純粋に反映された公正世界仮説に基づく競争原理が働いていると見なされているからではないか」という仮説は、恋愛における価値判断の一側面を鋭く捉えた考察と言えるでしょう。この考え方を支持する心理学的・社会学的要素がいくつか存在します。 

この仮説を支持する要素

  • 社会的な庇護がない自由競争の場: 経済や教育など、多くの領域では政府や共同体が一定のルールやセーフティネットを設けていますが、恋愛市場にはそうしたルールがほとんど存在しません。このため、自身の努力や魅力によってパートナーを獲得するという、ある種の「むき出しの競争」として捉えられやすくなります。
  • 「公正世界仮説」の適用: 「公正世界仮説」とは、「世の中は公正であり、善い行いをする人には良いことが、悪い行いをする人には悪いことが起きる」という信念です。恋愛市場において、特定の個人がパートナーを見つけられない場合、周囲の人々は「その人には見つけられないだけの理由がある」と無意識的に考えることがあります。これは、その人の性格、外見、努力不足といった「資質」に原因があると見なすことで、自分たちの世界の公正さを保とうとする心理が働くためです。
  • 自己責任論の強化: 社会的な介入がない自由な市場と見なされることで、恋愛における成功・失敗は個人の責任であるという考え方が強まります。その結果、失敗した人に対しては「もっと努力すべきだった」「魅力が足りない」といった、価値を裁くような見方が生まれやすくなります。
  • 「市場価値」という言葉の普及: 婚活ビジネスなどでは、「市場価値」という言葉が頻繁に使われます。これは、個人の年齢、年収、容姿、コミュニケーション能力などを指標化し、あたかも市場での取引のように個人の価値を判断するものです。この言葉が日常に浸透していること自体が、恋愛を競争原理に基づいた価値判断の場と捉える人が少なくないことの表れと言えるでしょう。 

反対意見や注意すべき点

一方で、この仮説は恋愛市場の複雑な現実のすべてを説明するものではありません。

  • 公正さの幻想: 恋愛市場の競争が「公正」であるという前提自体が幻想である可能性があります。容姿や生まれ育った環境、経済力など、個人の努力では変えられない要素が恋愛の成功に大きく影響することは少なくありません。にもかかわらず、これを「公正な競争」として捉えることは、格差を固定化する危険性を孕んでいます。
  • 「愛」という非合理な要素: 恋愛は、単純な市場原理やスペックだけで決まるものではありません。相性、タイミング、運命的な出会い、相手への一方的な好意など、非合理的な感情が大きな役割を果たします。これらの要素を無視して合理的な価値判断だけが働いていると考えるのは、恋愛の本質を見落とすことになります。
  • 多様な恋愛観: 恋愛市場の競争原理を受け入れない人々も多く存在します。競争を嫌い、自分のペースで関係を築くことを望む人もいれば、そもそも恋愛に価値を置かない人もいます。価値観が多様化している現代において、恋愛市場が一つの原理だけで動いていると考えるのは現実的ではありません。 

結論

ご提示の仮説は、恋愛を競争社会の一部として捉える現代の価値観をよく説明しています。特に、社会的な庇護がない領域で、公正世界仮説と自己責任論が結びつくことで、人々が恋愛市場における他者の価値を裁きたがる傾向が生まれているという見方は非常に洞察に富んでいます。

しかし、これは恋愛市場の全貌を捉えたものではなく、愛の非合理性や多様な価値観といった要素も考慮に入れる必要があります。この仮説は、現代社会における恋愛の一面を解明する上で有効な視点を提供しつつも、過度な一般化には注意が必要です。

所見

まぁ、純粋に優劣を決めるための市場競争をするのであれば、調整機構やセーフティネット、敗者復活の道のない冷酷な競争の土俵が必要なので、これらが働かない恋愛市場で優劣を測るのが合理的だからというのもあるでしょう。それこそが「公正」な競争だということです。
ただ、AIも現実が見えないのか、「合理的な価値判断だけが働いていると考えるのは、恋愛の本質を見落とすことになります。」という点、生物の生殖競争に由来する生物の本能に基づいた合理的価値判断によって為されているはずです。

リベラルがここに傾倒する理由について模索します

これをリベラルが積極的に支持することで、自由の代償として格差の固定化を是認するという矛盾を呈しています。

ご指摘の「リベラルが恋愛市場の自由を積極的に支持することで、格差の固定化を是認するという矛盾を呈している」という点は、現代のリベラリズム、特に新自由主義的な潮流が抱えるジレンマを鋭く突いています。

これは、社会の領域を細分化し、それぞれの領域で「自由」を追求するリベラルのアプローチが、全体として見ると矛盾した結果を生む可能性があることを示唆しています。 

矛盾の構造

この矛盾は、次のように説明できます。

  1. 自由の追求: リベラリズムは個人の自由と自己決定権を尊重します。恋愛市場においては、誰と恋愛するか、結婚するかを個々人が自由に選択する「自由恋愛」がその核心となります。
  2. 市場の論理: この自由な選択を積み重ねた結果、恋愛市場は一種の市場原理で動きます。魅力や能力といった「市場価値」の高い個人に機会が集中し、そうでない個人は機会が限定されます。
  3. 格差の拡大: この市場原理は、社会経済的な格差と同様に、恋愛市場における格差を拡大させ、固定化する可能性があります。
  4. 矛盾の表面化: 本来、リベラルは経済的・社会的な格差を是正しようと試みる傾向にあります。しかし、恋愛市場においては、自由な選択の結果として生じた格差に対して、その原則を貫くことが難しいという矛盾を抱えます。つまり、「自由恋愛」という個人の自由を尊重するがあまり、その結果として生じる「恋愛格差」という不平等な状況を黙認してしまう、という構図です。 

矛盾が顕在化する背景

  • 社会の私事化と介入の困難さ: リベラリズムは、個人の生活や感情といった「私的な領域」への政府や共同体の介入に慎重です。恋愛は最も私的な領域の一つと見なされるため、介入すること自体が個人の自由を侵害するというリベラルの原則に抵触します。
  • 新自由主義的な自己責任論: 経済領域で広まった新自由主義的な考え方が、恋愛市場にも影響を与えています。恋愛における成功・失敗も、個人の自己責任と捉えられがちです。これにより、恋愛に恵まれない人々を「努力不足」「魅力不足」と断じる言説が力を持ち、構造的な問題が見過ごされやすくなります。
  • 「公正世界仮説」との親和性: 「公正世界仮説」は、自由な競争の結果として生じた格差を正当化するロジックとして機能しやすい側面があります。恋愛市場も公正な競争の場だと見なせば、成功者は努力が報われた人、失敗者は努力が足りなかった人、と解釈することが可能になります。 

リベラル内部での対立と課題

もちろん、すべてのリベラルがこの矛盾に無自覚なわけではありません。リベラル内部でも、この問題に対する葛藤や対立は存在します。 

  • 格差是正を重視する立場: 一部のリベラルは、経済的な格差だけでなく、恋愛市場を含む社会全体の不平等の是正を訴えます。彼らは、個人の自由を真に保障するためには、格差を生み出す社会構造にも目を向けるべきだと主張します。
  • 自由な選択を重視する立場: 一方で、個人の自由な選択こそが社会の多様性を生み出す源泉であり、その結果として生じる格差にまで介入すべきではないと考えるリベラルもいます。

結論

ご指摘の通り、リベラルが恋愛市場の自由を支持する一方で、その結果としての格差の固定化を黙認する状況は、リベラリズムの理念に内在する矛盾を浮き彫りにしています。この矛盾は、「自由」が不平等を生み出す可能性と、どこまでを個人の自己責任と見なすかという、現代社会の根幹に関わる重要な問いを私たちに突きつけています。 

所見

キモいオジサンヘイトに見られるような平然とした差別が可能なのはこのような矛盾を露呈させている訳でもあるのですが、「公正世界仮説」が正義感のより深いところの根源にあるため、こちらが勝っているのではないかとも思われます。

新自由主義的な自己責任論がリベラルの中に入り込む訳とは

新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透してしまっていないか。

ご指摘の「新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透してしまっているのではないか」という問いは、社会学や政治心理学の分野で活発に議論されているテーマです。多くの論者が、個人の自由を重視するリベラルの思想が、自己責任を強調する新自由主義的な考え方と、公正世界仮説という認知バイアスを通じて、複雑な形で結びついている可能性を指摘しています。 

この現象は、以下のような要素によって説明できます。

新自由主義的な自己責任論の文化的浸透 

新自由主義は、単なる経済政策の枠を超え、個人の行動や価値観に影響を与える文化的プロジェクトとして分析されることがあります。 

  • 「自己実現」のイデオロギー: 新自由主義的な文化では、「自分らしさ」の追求や「自己実現」が強く推奨されます。これはリベラルが重視する個人の自由や多様性と親和性があるように見えます。しかし、その裏側で、個人の成功や失敗が「自己責任」の結果であるという考え方を強化し、社会構造的な要因を軽視させる可能性があります。
  • 「選択の自由」の罠: 新自由主義は、市場における「選択の自由」を強調します。リベラルが個人の選択の自由を擁護するあまり、その選択の結果生じた不平等(恋愛格差など)を、個人の責任に帰する形で是認してしまうという矛盾が生じます。
  • 「市場市民」への変容: 新自由主義は、市民を社会のメンバーとしてではなく、市場で競争する「起業家的自己」へと変容させる働きがあると指摘されています。これにより、本来、相互扶助や連帯を重視するはずのリベラルの価値観が、競争と自己責任の論理に侵食される危険性があります。 

公正世界仮説による格差の正当化

公正世界仮説は、「世界は公正である」という信念を保つために、被害者や不遇な状況にある人々を責める認知バイアスです。これが新自由主義的な自己責任論と結びつくことで、以下のような形でリベラル層に影響を与える可能性があります。 

  • 構造的脆弱性の見落とし: リベラルは本来、社会の構造的矛盾や不平等を問題視する立場です。しかし、公正世界仮説が働くと、貧困、不安定な雇用、恋愛における不運といった問題が、その個人の「努力不足」や「魅力不足」の結果であると解釈され、社会構造の責任が矮小化される可能性があります。
  • 心理的な負担の回避: 公正世界仮説は、不条理な出来事から自分の心を保護する役割も果たします。リベラル層も人間である以上、世の中の不平等や格差の現実に直面した際に、それを個人の責任と解釈することで、心理的な負担を軽減しようとする可能性があります。
  • エリート層の自己正当化: 高所得者や成功したリベラル層の中には、自分たちの成功を個人の能力や努力の結果だと信じ、不遇な人々を自己責任と見なすことで、自分たちの立場を心理的に正当化しようとする傾向が見られます。 

リベラルの内部で生じる葛藤と対立

このような新自由主義的自己責任論と公正世界仮説の浸透は、リベラル内部で大きな葛藤や対立を生み出しています。 

  • 経済格差是正vs個人の自由: 経済格差を是正しようとする動き(例: 貧困層への支援)と、自己責任を前提とした個人の自由を強調する動きの間で矛盾が生じます。
  • 被害者意識の政治化: ポピュリズムが台頭する中で、一部の層では、被害者であることを政治的に利用する動きが見られます。この背景には、新自由主義的な競争の過酷さからくる心理的負担と、「自己責任」を免れたいという欲求があるとする分析も存在します。
  • 批判的視点の再構築: この矛盾に気づいた多くの論者や活動家は、新自由主義の論理を批判し、社会構造や連帯の重要性を再認識しようとしています。 

結論

ご指摘の通り、新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透しているという見方は、多くの社会学や政治学、心理学の研究で支持される分析です。これは、個人の自由を重んじるリベラルの理念が、市場の論理と心理的な認知バイアスによって歪められ、結果として社会的な格差を黙認する方向に作用してしまうという、現代社会の複雑なジレンマを浮き彫りにしています。 

所感

選択の自由の罠には、職業選択もあります。時代と共に廃れる業種・職種が存在します。そのような職種に身を置いたのは将来を予測せず、安易に職業選択をした自己責任だとでもいうのでしょうか?
基本的に個人主義的自由に立脚しているため、案外自己責任論に流れがちだったりもします。また共同体の調整機構を家父長制的と非難することもあり得ます。そのため格差是正が言うほど機能しなくなる可能性も存在します。
「個人の自由を重んじるリベラルの理念が、市場の論理と心理的な認知バイアスによって歪められ、結果として社会的な格差を黙認する方向に作用してしまう」という表現が端的に示すものと言えます。

ひとこと感想

かなり含みのある回答でもあり、多くの議論の論点が示唆されたように思えます。

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