駆け引きの戦略と基となるコケットリー
コケットリー(英語: coquetry、フランス語: coquetterie)またはフラーティング(英語: Flirting)は、女性特有のなまめかしさのこと。フランス語のcoq(オンドリ)に由来する語である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
社会学においては、男女間の権力関係において女性が男性に提示する媚態とされ、ゲオルク・ジンメルにより社会化の形式の一つとして研究され、フランスの社会学者ルネ・ジラールが欲望の理論として定式化した。
ジンメルは「事物の「魅力」は、できそうで、できないもの、手に入りそうで、手に入らぬもの、イエスか、ノウか、まだ決まっていないものの間に発生する」と述べている。コケットな女性は誘惑と拒絶を同時に提示することで、所有と非所有の狭間という浮遊的な心理を与え男性を惹きつける。
魅力的な肉体を持つ女性は、性愛的関係性を求める異性愛の男性に対してエロティシズム的側面においては優位に立っており、男性が彼女の肉体を欲しがれば欲しがるほど、彼女の優位は強まる。しかし、男性が障害の大きさに尻込みして彼女から去ってしまえば、彼女は男性を支配する地位を失ってしまう。彼女は男性に対する優位を保つために、自らを男性の所有に帰さない程度において男性の欲望をそそるような見た目や立ち居振る舞いを磨き、彼女の肉体の価値を男性に誇示しようと工夫をこらすことになる。
端的に言えば色仕掛けで優位な立場を取って男から利益を取っていくという算段なわけですが、この戦略を取っていく上で厄介な存在が現れてくるのです。
これはあくまで男に対して優位に立つための戦略なのです。
注目すべきポイントは「男性が彼女の肉体を欲しがれば欲しがるほど、彼女の優位は強まる。」と言う部分、ここを私は「女性の希少性」と解釈しています。
希少性が高くなればなるほど、女性側の優位はますます強くなるため、ワガママや無理難題を通しやすくなります。
なぜフェミニストによって萌えやエロが叩かれるのか
代替手段が台頭することでこの戦略が通らなくなる
フェミニストは萌えやエロが低コストで一定水準の目的を達成する代替手段として流通してしまうことに危機感をもっています。
なぜならば代替手段が出てくると、そちらに代用されてしまうためその希少性が下がってしまうからです。
希少性が下がるということは優位性の失墜を意味することなので、ワガママを言っても代替手段があるとなると「そこまで厳しい条件を付けてくるならもう結構です」とソッポを向かれるようになって通らなくなります。
恋愛はコスパが悪いという言葉の出ている通り、負担の大きさから割に合わなくなっているのが背景にあるでしょう。
それ故に代替手段の台頭には猛烈な脅威を感じているようです。
戦略を維持するためには代替手段を潰す必要がある
従って自分たちに尽くしてくれるよう仕向けるには、代替手段を潰していくことでまた女性の希少性を高めて必要とされるよう仕向けなければなりません。
下品な言い方すれば「ズリネタ」になりそうな物は全部潰しておけば、代替手段はなくなるので、「女性の同意」を求めて死ぬ気で女性に尽くしてくれるようになると考えているでしょう。
だから表現規制の問題でも女性の希少性に影響があるものだけを狙い撃ちにして、影響のないものにはダンマリというふるい分けがあるのです。
戦略を通すためにはホモソーシャルもなりふり構わず利用する
ホモソーシャルの間ではセックスの経験がないのは半人前、経験をしてはじめて一人前の男というものがあります。
フェミニストなどの意識高い系の女性はこれは「しめしめ」なんですよ。
一人前の男になれるかどうかを女性の同意次第で決められるいうことですから、必要とされるようになり、希少性が高まります。
その結果として足許を見て厳しい条件を付してくるはずです。
風俗での経験がノーカウントとされるのも、人物評価や駆け引きバトルの末によっての同意かどうかを問うているのであって、行為そのものの経験を問うているわけではないということです。
あたかも学歴が学業の内容より入試選抜の難易度で価値を決めてくるのにも似てきます。
問われている価値が「選抜で勝ち抜くこと」に置かれているからです。
結局のところ、フェミニストはいかに女性が男に対して優位性を取っていかに弱みにつけ込んで強請れる手段を死守したいかというのが表れているのではないかと思います。
こんな理由で憲法21条の改正なんてされたら堪りませんが…
さておき、打算でしか人と関われないという性根の方に嫌気がさしてきます。
あの辺の人、しきりに「メリットは?」と言いますからね…
徹底して損得勘定で生きているんでしょう。
余談ですが「大企業の下請けいじめ」にもこの構造があります
下請側には失注したら経営が回らなくなると、失注することを恐れています。
発注する大企業側はそれを承知で足許を見るようにして無理難題を突きつけてきます。
だから生かさず殺さずというギリギリの所まで単価を叩いてきたりとかするわけです。
ところが、もし他所から代替になるより利益率の良い仕事が取れるようになって経営が回せるようになったら、そんな「採算の取れない仕事要りません」と断れるようになるでしょう。
やはり足許を見て要求を通すというスタイルをとる人にとって代替手段ができることは脅威になってくるのではないでしょうか。