どうしてフェミニストと対峙することになったのか

新自由主義の補完勢力となることで反新自由主義という立場上避けられなくなった

規制から「解放」されることが自由だと解している点では新自由主義と軌を一にする

根本的には不当な規制があるせいで思い通りの意思決定ができないと考えているので、如何に岩盤規制を破壊して、自身の利益を最大化できるよう意思決定できる環境を確保できるかという視点に立ちます。

「自分が第一」のために持続可能な社会に対して顧みない

女性はより自由であるべきということが社会の共同体を分断し、破壊する

問題は、気に入らなければ容赦なく「拒否する自由」を声高に主張することです。社会共同体では例え気に入らない人がいようとも折り合いをつけなければなりません。社会共同体の中で誰かを排除しようものならば、ゆくゆくは自らも排除の対象となり得ます。「ニーメラーの言葉」も結構他人事でないと刺さる話です。

しかし、かの人たちは「譲歩したら負け」というプライドがあるせいか、折り合いをつけるということが屈辱的にまでに耐えられず、どうしても気に入らない人を排除したいと考えてしまいます。そこでどうするかといえば、社会共同体そのものを破壊してバラバラにしてしまうことで排除を実現しようとしてしまうのです。
基本的に極端な個人主義とも言えます。
そうして社会共同体を破壊していった結果どうなったかは、相次ぐ自然災害やこのコロナウィルスの問題で浮き彫りになってきたのではないかと思います。

これは先述の通り、新自由主義の問題かと思われがちですが、先述のとおりフェミニズムの希求する自由のありようが新自由主義と軌を一にするため、結果として補完勢力として考える必要があります。

むしろ新自由主義と交差する

極端に個人主義であり国家を消極的なものとしてしか見ないイデオロギーであるのが新自由主義といえます。
新自由主義は国家という存在をできる限り後退させるのが望ましいと信じグローバル化を熱心に推進してきたんですが、フェミニストも不都合な規制や抑圧を排除するために国家という存在をできる限り後退させようと考えているため、国家という存在をできる限り後退させたいという点で新自由主義と利害が一致するので交差するわけです。

結果としては新自由主義に取り込まれることとなり、これが「新自由主義の侍女」とも言われる原因の一つでもあります。

フェミニズムの大権威が発した「平等に貧しくなろう」という言葉の何が問題か

後の世代に対する無関心こそが諸悪の根源

今日の日本におけるフェミニズム大権威こと上野千鶴子が発したのこの言葉の本質はどういうものか。それは自分が利益を享受できればそれでよく、後人がどうなろうが知ったことではないという自己中心的極まりないものと言えます。
まさにマルクスが揶揄した「大洪水よ我が後に来たれ!」という考え方そのものです。
(日本人には「後は野となれ山となれ」という表現の方がしっくりくるかもしれません。)

このような考え方の人に次世代の人がどうなろうが関心を持とうとすることはありません。次世代を担う人に対する配慮が全くない時点で、持続可能な社会なんていうことは一顧たりともしていないことは明らかです。

元を正せば少子化の問題は経済的な問題ではなく、上野千鶴子のような自己中心的な人物が打算的な意思決定の下で子どもを産むことより、自分の見栄を第一に考えた方が幸福だと結論づけた結果です。

マルサスの人口論では経済力があるはずの先進国で少子化が起きるということを説明することはできません。ところが、ヴェヴレンはこの問題を先進国では出産・育児にかけるお金より自己の見栄のための出費を優先してしまうために少子化が起きると説明しており納得がいきます。
この流れを加速させる役割を担ってきたのが他でもない上野千鶴子ではありませんか。

「平等に貧しくなれ」と言葉を発した著名人がもう一人

ちなみに「平等に貧しくなろう」と言葉を発した著名人がもう一人います。
その名は竹中平蔵。日本において小泉政権以降の新自由主義を推進し、結果として衰退を招いてきた人物。しかしながら政府ですらひれ伏すほどの日本における新自由主義の「大権威」であります。こちらも上野千鶴子同様に自分の利益のためには国民がどうなろうが知ったことではないという考え方です。
何せ、竹中平蔵が会長となっているパソナグループの利益誘導のためにわざわざ旅行業界への休業補償ではなくGoToトラベルを推進したか。事務処理でパソナグループが関与することで中抜きして利益誘導しようとしたと考えられます。
竹中平蔵も自分の利益のためなら国民がどうなろうが知ったことではないというマインドの持ち主だからこそこのような施策を思いつくのでしょう。
まともな感覚なら、観光業界を守ろうとするのであれば、GoToトラベルではなく休業補償を考えるはずです。

まぁ、言うなれば日本における「フェミニズムの大権威」と称される上野千鶴子の目線というのは竹中平蔵と同じ、弱肉強食の新自由主義、市場原理主義に凝り固った人という事なんですよ。

昔のフェミニズムの真っ当で穏健な面影はなくなった

当方も元はフェミニストでしたが

私が支持していたものは80年代の田嶋陽子世代のフェミニズムまでで、いかに女性が自立できるかという点を重視した立場にありました。以後の流れについては違和感を持ちアップデートを拒み「オールドタイプ」として存続することも考えましたが、アップデートを強要する流れに抗し得ず、降りることにしました。

しかし今に至っては80年代までに築かれたものを否定してしまうような流れで、女性を如何に労せず利益を最大化するために男が如何に強くあるべきかという点に立っており、男に対してだけは情け容赦なく徹底した自助・自己責任を主張する強烈なマッチョイズムに変容するようになりました。なぜそんなに男性ばかりに自助・自己責任を強調するのかというと、それに耐えうる強さが男にないと男から搾取できるだけの価値が形成されないからです。

なぜそうなるかというと、多くの場合はとりわけ抜きん出た才能があるわけではないので自力で頂点に成り上がれるとは思わないでしょう。しかし、幸せになるために頂点に立とうという野望は諦められません。そうなるとどういうことになるかというと、優秀な男を支配下に置き、踏み台にすることで成り上がろうと考えるのです。
元を正せば頂点(=ナンバーワン)にならないと幸せになれないという認知の歪みが問題だと思いますが。

シンデレラコンプレックスは一般的には有能で仕事ができ、社会的に自立している反面、他人に依存したいという潜在的な欲求が強い人と思われがちですが、むしろ凡庸で自力で頂天に立てない人が「王子様」をゲットすることで一発逆転を狙おうという意図があると見ます。そしてその一発逆転が狙えるかどうかで男を査定するようになってしまったのです。
奇しくも東京都知事の小池百合子ですらこのロジックを利用して立身出世してきたのです

オタク男性が叩かれる理由とは

今日のフェミニストはとりわけオタクの男性が叩かれるわけなんですが、それも原因ははっきりしています。
まず、大権威の上野千鶴子がオタクの解釈が杜撰というか、「女性にとって需要のない男」の代名詞として適当に使っているからです。この時点で市場価値で人の存在価値まで決めてしまうような、市場原理主義的な思考が垣間見えるのがダメすぎますね。
私は上野千鶴子を本質的にはフェミニストとは考えておらず、フェミニズムを介した新自由主義・市場万能主義者と見ています。

次いで本来はオタクの解釈を「趣味人」と解する方が理屈に合います。そうした上でフェミニストは趣味人を嫌います。
なぜならば、女性に選ばれるために費やすリソースを趣味に投じていては、自分の居場所がなくなることを恐れるという弱みを握れないので思うように支配し、搾取することはできません。これが不都合なので攻撃するわけです。言い換えれば、趣味を犠牲にしてでも相応しい男になるよう努力してあって然るべきということです。

自己の利益の最大化を目的とすることで先鋭化した

今日のフェミニストの問題に何があるかと言えば、自由の解釈にあります。端的に言えば生殺与奪何でもできると解している点。そうなれば、行動規範は自己の利益の最大化で徹底されます。それに対して支障をもたらすものは力づくで排除してもよいということになります。
そうして物事の考え方が先鋭化しどんどん過激な方向に向かって収拾がつかなくなっている。これが今のフェミニズムのありようです。
旧い世代が築き上げたものを理解しようとするほどに矛盾を感じてくる。これが今日のフェミニストの問題です。
どうしてこうなったのかと、嘆かわしいかぎりです。

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