オタクの認識を一変させた中学3年の出来事

オタクはしばしば差別の対象として槍玉に挙がるので社会の項目として挙げます

私自身は現在オタクに対して差別意識を持っておらず、むしろオタクを理由に差別していことの方を問題にしています。
当の私もその出来事ができる前というのは、何を考えているか分からない人とか、根暗な人とかそういうイメージが既に流れていました。私も実際どういう人物かというのも知らないし、1993年当時はインターネットは普及していないので、知りうる範囲というのはテレビを中心とした放送メディアなどで知り得た情報のみ。

進学塾の講師が話した雑談が衝撃的でした

まずは思い出話になるんですが、中学3年の頃、進学塾に通っていたのですが、英語を担当していた講師が石切山聡さん。
(後年「石切山聡偲」と名乗っており、テレビ朝日「たけしのTVタックル」という番組でも取り上げられるような活躍をされておりびっくりしてます。)
思い出すと、とても懐かしいお名前です。
授業もとても分かりやすく、学校の授業ではポイントがつかみづらく回りくどいと感じる程です。

当時は何だか分かんないけど、学校の定期テスト、市内統一テスト、や進学塾で実施している模擬試験の成績を考慮したのか、志望校にしていない難関校クラス(Aクラス)に配置されてしまい、何とかついて行った覚えがあります。(第一志望はBクラスなんですけどね。)
当然ながら、ラクなクラス分けでは力はつきませんので、この配置でもよかったのかもしれません。
他所の中学の人たちにも面白い人たちがいて飽きなかったね。

結局入試の方は内申点が思うように伸びない問題と第一志望も第二志望も高倍率の組み合わせという結構チャレンジングな組み合わせをしたので、第二志望の方に行くことになりましたが。
(Aクラスでついて行けるのであれば、1ランク上の難関校で通用するレベルなので、おそらく内申点を考慮しなければ第一志望は通った。やはり「内申点制度の闇」を感じます。)

さて本題に戻りましょう。
授業の合間に雑談が入ってきて石切山先生、オタクの話題になります。実はオタクというのも精通度に関しては下の方で、上にはコレクター<マニア<仙人という話になります。コレクターやマニアと言った人の方が精通していていて詳しいという位置付けで、オタクが一番下です。その理由も後でわかります。

「何かに没頭するものがある時点で『オタク』だ。何かに没頭できるものがない人は、つまらない人間だ。」

この言葉はとにかく衝撃的だった。
没頭しているものがある時点でオタクという定義するカジュアルさ。
私はその直後それだけではなく、没頭するしている人を冷笑する人もつまらない人間ではないかと気づきを得ています。冷笑する人は没頭することがかっこ悪いという前提を持っているから冷笑するわけなので、当然に何かに没頭するなんてことはないはずと思ったからです。
(これが冷笑系の薄っぺらさを感じてしまう要因にもなりましたが。)

何かに没頭できる人、狭義に言い換えれば「趣味人」とも受け取れそうです。広義にとってしまえば没頭できるもであれば仕事ですらでもよく、何でも良くなってしまいますね。

後になって調べると語源も「家に引きこもっていそう」とかそういうのではなく、その辺の筋の人が(とりわけ初対面の)相手のことを「お宅さん」という呼び方をしていたのが由来なんだそうです。

努力家で上昇志向の高い人ほどオタクに対して憤りの矛先に向ける

先述の流れで分かりやすく言えば、オタクとは「何かに没頭できる人」や「趣味人」です。しかし、多くの努力家で上昇志向の高い人は勝ち組になるために、自分の好きなことや趣味を犠牲にしてでも少しでも上のステージに上がるために時間・お金・労力などのリソースを集中させて必死になっています。そういう人にとって彼らの生き方というのは、我々が幸せになるためにこんなに我慢しているのに、たいして努力もせずに幸せそうにしていて許せないという怒りが出てくるのでしょう。
これは勝ち組と呼べる人たちがしきりに自己責任論を説くのにも通底してくることです。

とりわけ女性からのオタク差別は顕著なのですが、その原因は各々の趣味に没頭し、女性に選んでもらうための競争に勝ち抜くためにリソースを割いて努力しようとしない姿勢が許せないからだと考えられます。女性の方がライバル意識や上昇志向が高く、付き合う男ですらもライバルとの比較対象と位置づけているからではないかと見ます。

この人たち、何をもって人を見ているのでしょうか。何か没頭するものもなく、ただひたすらあらゆる方面で競争に勝ち続ける「勝ち組」と呼ばれる人にしか興味を示しません。
しかし仕方がありませんね。新自由主義、市場原理主義の社会において競争に勝つことが存在意義というふうに捉えるようになったのではそうしたくなるのも否めません。良くも悪くも新自由主義、市場原理主義に適応した結果。
問題はそのような価値観を生み出す新自由主義、市場原理主義の価値観そのものに問題があると思います。

私がオタクに偏見を持たないのは過去に良い出会いがあってこそ

私がオタクに偏見を持たないのは、他でもない中学時代に出会った石切山先生のこの言葉があってこそのものです。もしこの言葉を知らないまま歳をとっていたらどうなっていたかわかりません。もしかしたら酷い偏見を持っていたのかもしれません。

今日の価値観を支える良い出会いだったと再認識します。
高校入試にさし当たり、3年になった当初は試験に受かるのかと不安で仕方がなくて、進学塾に行きたいと両親に相談したところ、母がこの進学塾を見つけたのも何か縁ですし、良い思い出です。

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