公共事業に対する偏見の源とは

相次ぐ自然災害から、災害対策が急務となり公共事業への考え方が変わります

インフラ投資は無駄と主張するマスコミや
緊縮財政を押し進める財務省の情報に騙され、
公共事業は不要だという人もいます。

私自身、当初の公共事業の印象は芳しくありません。
実態は元請けの大手ゼネコンが中抜きして下請けに丸投げという、大手ゼネコンが儲けるためのばら撒き政策や、談合などを通じた不透明な入札・契約の有り様に自民党政治の闇の部分とも言え「利権政治の象徴のように映っていたのです。
加えて福祉予算などへの財源不足から不要不急の公共事業をやめようと。「それを何に利用するか」や「どのように活用するか」が十分に検討されないまま大規模な建設物を作るのかという疑問もありました。

でも、学校の耐震化工事など中小企業が入札できるような小規模な事業には肯定的な側面はありました。学校の耐震化工事、多くの学校は災害時の避難場所として指定されているため、避難所の整備という側面があることは理解できたためです。いざというときに避難所になっている学校が倒壊していたでは困りますから。緊縮派でも意義のあるものであれば細かい事業については予算を組もうという事もありました。ただ大規模な事業は利権が絡んでいるという不信感はありました。

八ッ場ダムの是非について治水の面が軽視されていた

八ッ場ダムは利根川の治水・利水上必要不可欠

民主党政権の時は事業仕分けといって必要のないものとして槍玉に挙がった八ッ場ダム。このとき専ら話にあったのは水資源の需給の話ばかり。確かに水資源の需給の問題だけなら飽和しているので必要はないと考えてしまいます。しかし災害対策の側面からすれば必要とも思えます。ただ私の記憶している範囲では災害対策の面はあまり争点にされてこなかったのではと思われます。

例え争点に挙がっていたとしても、私自身が大規模な公共事業に対する偏見があったのか、事業規模に対して見合う災害対策の効果があるのかと疑っていた可能性もありました。

MMTの理論があれば「予算のトリアージ」の必要がなくなる

考え方が抜本的に変わったのはMMTの理論に触れてから。インフレ率の範囲内であればいくらでも自国通貨建てで国債発行できる。そうであれば喫緊の課題に対する予算には国債発行して予算付ければよいわけで、予算に限りがあるからと優先順位を決めて、「この予算のために、あの予算を削る」なんて事を考えずに済みます。インフレ率の許す限りは必要な所は妥協せず予算を付けられる。
予算には限りがあるとい考え方に囚われていたからこそ、大規模な公共事業に対しては他の生活に掛る政策と比較して不要不急感が出てしまったのだと感じます。

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