日本では共産党も新自由主義勢力です

マルクス主義が新自由主義者だって?

「衰退途上国」日本の平成30年史を振り返る
中野剛志(以下、中野):今の日本を「衰退途上国」と呼ぶ人がいるようですが、言い得て妙ですね。佐藤健志(以下、佐藤):平成が始まったのは1989年。今年は平成30年です。この30年間を振り返って一言でまとめる…

佐藤健志氏のこの言葉が刺さります。

有名なマルクス経済学者の大内兵衛さんまで、「この不況は、放っておいたほうが資本主義は健全になる」という旨の発言をし、赤字国債発行絶対反対を表明されたとのこと。どうも日本では、マルクス経済学すら市場原理主義に通じているらしい。これぞ「マルゆう」、マル経が言うな(笑)。

https://toyokeizai.net/articles/-/212812?page=5

大内兵衛に限ったことじゃないですね。
当然ながら共産党本体もマルクス主義なので同様に赤字国債絶対反対というスタンス。
問題は、これが市場原理主義・新自由主義を後押しすることになるのです。

日本共産党は政府を小さくしようとしています

本来は政府の存在を否定できないはずですが

「新自由主義の生命力」が日本で根強すぎる理由
中野:岸田総理は「小泉改革以降の新自由主義的な政策を転換する」と述べ、「改革」という言葉を使うのを躊躇しました。しかし、新自由主義は靴の裏についたガムのように、日本社会や日本人の精神にべったりとこび…

左派の発想だと、積極財政、ないしインフレ(=経済の拡大)は戦争と結びつくんですよ。すると平和に結びつくのは緊縮財政とデフレ。私の本のタイトルではありませんが、『平和主義は貧困への道』です。政府が需要を創出して経済を引っ張るとか、インフラを整備するなどといったことは、彼らの眼中にないんですね。

そのくせ左派は、弱者救済や福祉充実にはこだわる。つまり福祉国家志向でした。しかし「福祉国家志向の小さな政府」など存在しえない。だから「それは矛盾だ、小さな政府がいいのなら社会保障はあきらめろ」と言われると、反論できなくなってしまう。こうして保守系の新自由主義者にたいし、塩を送る次第です。

https://toyokeizai.net/articles/-/466950?page=2

こちらも佐藤健志氏のご指摘なんですが、政府が需要を創出して経済を引っ張るとか、インフラを整備するなどといったことは全く眼中にないですね。
むしろ公共事業を利権政治の象徴として悪いものとして喧伝してしまっているんです。
さすがにこの私でも防災政策はどうするんだ?と疑問に思いました。

ちなみに今のコロナ禍は有事と捉えるべきで戦時同様の積極財政が求められます。
端的に言えば人類vsコロナウィルスという戦争状態と認識して丁度良いぐらいじゃないでしょうか。
非常事態です、平時の運営で回そうなだなんて考えていてはいけません。

緊縮財政を採ることで更に小さな政府に向かおうとする

共産党の財政観は極めて異常で、経営脳ですらなく家計脳です。
経営脳ですら投資のタイミングを逃さないためには借入を起こして投資を行うということまで否定しませんが、家計脳だと借金をすること=収入に見合わぬことをすると見なして悪いことだとしてしまいます。
このため収入に見合ったやりくりをすべきという観点から税収以上の予算を組んではならないという強固な緊縮財政志向が生まれてしまいます。
あまつさえ税収より小さい予算を組んで予算を浮かせて国を借金を減らさなければとさえ考えているのです。
この辺の所が藤巻健史とまるっきり同じ

借金をなくす方法は予算を小さくすることの他、増税するという方法もありますが、あのピーナッツこと藤巻健史の言い分だと国の借金をなくすのに消費税を40%にしなければならないとか。
(それやったら確実に国民死にますわ。)

これが問題で、税収以上の予算は組むべきではないとなると、不況下で税収が落ちたらますます予算を抑えて政府がやることを削っていきます。
自ら訴えている政策も予算不足で看板倒れになるのは間違いないでしょう。

政府による投資を認めないと市場原理主義に邁進

政府は投資をしてはいけないという奇妙な思想ができてしまっています。
民間は儲けにならないと投資しようとはしません。
しかし国民は必要としてはいますが、儲かるビジネスにできないことも多々あります。

民間企業が周辺住民のために防災工事したりするでしょうか?余程のことがないとないでしょう。
そのような場面では政府が損得勘定抜きで国民の福利のためになるのであれば躊躇なく投資する必要があるのです。
民間がやりたがらないことだからこそ政府がやらねばならないのです。

小さな政府を目指すことで新自由主義の補完勢力に

小さな政府とは政府が介入しなくなっていくことでもあるので、調整名目で政府が介入してくることを忌み嫌う新自由主義にとって好ましい環境そのものなのです。
そうして小さな政府に向かう方向で加担するということは新自由主義勢力の都合のいい方向へとアシストしていくことになってしまうのです。

新自由主義を本気で止めたいというのであれば、新自由主義が望む小さな政府ではなく逆の大きな政府である必要があるのです。
その上で緊縮財政に立つのは悪手でありますし、政府を個人の自由を奪う敵だとして否定するのも悪手です。

政府や共同体が調整で介入することについて個人の自由を奪っているという行き過ぎた個人主義の考え方で、共同体意識に欠いた利己主義にも見えるのですが…
これ自体も新自由主義を補強してしまいそうです。

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