小林よしのりが「ネトウヨ」の教祖という所以

「常識を疑え」と「これさえやれば全部解決」

「常識を疑え」と煽って偏向した視点を植え付ける

既存の歴史教育を「自虐史観」と扱う

日本人が自己肯定感を得られないのは
従前の歴史教育が左翼学者によって歪曲された学説によって、
日本人は悪人であるという刷り込みがあるから
という点にあり、これらは日教組や左翼学者によって作られた自虐史観によるものとして、
それを排斥しようと歴史修正主義に傾倒しているのは一つの特徴とも言えます。
これは既存の知見を疑えというメッセージでもあるため、
ネトウヨになるのは基礎的な教養がないからという左派の解釈は間違い。

むしろ「常識を疑え」という客観的視座が悪い方向にもっていかれただけ。
そもそも彼の核心にあった「公の精神」というのは、
実質「滅私奉公」の精神は第二次世界大戦下の統制社会(=官製ファシズム)によって、
望ましい秩序が確立されたものとして見いだされたもの。

その体制下こそが日本があるべき社会、
日本人があるべき秩序立てされた価値観の象徴として礼賛しているのです。
故にその体制(特に憲兵を重用して抑圧した東條政権)に対して
否定的に書かれた既存の歴史教育を許せるわけがありません。

既存のマスコミへの不信感を煽るものの

既存のマスコミもサヨク呼ばわりされるのですが、
実態はGHQに制御されていたのが実情です。
財務省と共産党が大好きな財政法第4条も
GHQの支配下にあった大蔵省の官僚に書かせたもの。

GHQは国債発行で再軍事化されることを阻止するために
この政法第4条を作らせたという点までは理解されているようですが、
実際はそれ以外にも意図があってのもの。
本当は軍事化だけではなく経済成長も脅威と見ていたため
経済成長の足枷になるよう緊縮財政を採らざるを得ないようにするため、
財源は税及びそれに準じるものと固定するわけであります。

「これさえやれば全部解決」という小泉劇場のプロトタイプ

単純化が「複雑さに耐えられない人」に支持される

「これさえやれば全部解決」というロジックは単純化という手法であり、
かつて小泉純一郎が「郵政民営化すれば日本経済はバラ色に!」
というフレーズに象徴されます。

あたしからすれば、どうして
郵政民営化すればどうして日本経済がバラ色になるのかさっぱり分かりません
ただ小泉純一郎からはあたかも郵政民営化すれば燻っている
利権問題が排斥されて全部解決されるかの如く言うのです。
部分的に、共産党の十八番である利権政治を許さないという
ルサンチマンに訴える政策を取り込んだとも言えます。

複雑なことが苦手な人からすれば、
これだけを愚直に一点集中さえしておけば解決できるという案は歓迎されます。
実際ネトウヨになっている人は、複雑さに耐えられず、
単純化して一点集中できる方法を求める傾向があります。
その傾向からネトウヨは知能が低いというステレオタイプまで生まれるわけでもあります。

実は小林よしのりはこの単純化するという手法としては先行者なのです。
かつて「公の精神」という言葉を多用していますがこれが曲者で、端的に言えば「滅私奉公」を示唆するものであり、「道徳に訴える」全体主義そのものです。

凶悪犯罪の増加などを通じて世の中の乱れについて問題意識はネトウヨに傾倒する人の中にも持っていたのですが、世の中が乱れていく要因は実の所は複雑な要素が絡んでいるのです。
しかし、彼らにはそのような複雑さには耐えられません。
そこで、彼は「公の精神」という概念を持ち出した。

全国民が滅私奉公に勤しめば世の中の乱れはすぐさま是正されるでしょう。
そういう意図で「公の精神」という言葉を持ってきて流した。
問題は単純かつすぐに結果を求めようとすることにあり、その選択をすることによる弊害を想定するという複雑な思考を張ることを苦痛としているところでしょうか。

抵抗勢力に対するネガティブなレッテル貼りも同じく

このほかにも小泉純一郎は「改革か抵抗勢力か」というフレーズであたかも抵抗勢力が悪者であるかのように展開していますが、この戦術も小林よしのりが先行して実践しており、「戦争論」で「戦争に行きますか、それとも日本人やめますか」という分断を展開しています。戦争に行くことに否定的な態度を示せば非国民呼ばわりする意図が明瞭にあり、有無を言わせずに戦争に行くことを迫ろうとする一言でしょう。

このネガティブなレッテル貼りがネトウヨの中に浸透しているのが一番厄介なところであり、意見の対立がある度に「反日」のレッテルを貼ったりその他社会的信用と貶めるような誹謗中傷を執拗に繰り返していくことで社会的制裁ととして孤立化させようと躍起になるわけです。
さながら戦時中に「非国民」というレッテルを貼って集団いじめや村八分にしていくという手法です。

直近の変節が不可解です

直近の変節ぶりで象徴されるのが反マスク反ワクチンの流れに乗っていること。
従前の小林なら、先述の「公の精神」の観点から「隣組」という相互監視システムを復活させてでも徹底してマスクやワクチンはもちろんのこと日々の行動にまで相互監視を通して自粛を強制するはずです。
この従前のスタンスとは真逆のあまのじゃく的な言動は不可解極まりないないものです。

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