西田昌司の「そもそも国民に主権があることがおかしい」への誤解

実は言葉が一人歩きして本来の意図しない方向に行っていたことがわかりました

「西田さん、そもそも国民に主権があるとおかしいと本当に言ったのですか?」週刊西田一問一答おまけ

西田昌司と言えば「国民に主権があるのがおかしい」というあのフレーズを思い出しますが、どうも松尾貴史というタレントが、話を最後まで聞かずに誤解して断片的な部分をあげつらって歪められ、そして拡散していった様子。
※西田氏は「ニッチェ」という方を名指しして批判しておりますが、その「ニッチェ」というのは松尾貴史が一時期使用していた芸名にあたります。

そしてかくいう私もまた、彼の発信した話を受け取ってしまっていたので、大きな誤解をしていたわけです。
松尾氏自体は普段は聡明な方ではあるのですが、話をよく聞かず早合点なり誤解なりして結果としてデマを流してしまったのは「らしくない」と思っています。

何と憲法上において筋が通っていた

人権を「相続されるもの」という独自の解釈をしているので、少々とっつきにくい説明の仕方ではありますが、よく聞いていくと「歴史的演繹」といかに保全の面で語られているかという事が分かってきます。そしていかにきちんとした形で次世代に引き継いでいくかという責任があるのだということです。
それで西田氏のこの話をよく聞きいていて思い出したのが、以下の件です。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

これ、何でしょう。
実は日本国憲法第12条の条文です。

前段は人権の歴史的演繹から導かれるその性格及び保持に必要な国民の責務を指しているので、先人から受け継がれ、後人に引き継いでいくものと考えた方が分かりやすいと思います。そう言う意味では「相続」という表現が分かりやすくする表現なのかもしれません。憲法第12条の条文は抽象的で分かりづらいのですが、それを咀嚼しているようにも思えます。

今を生きる世代は、次の世代を生きる人に対してきちんとした形でバトンタッチしていく責任を負っている

これに基づいて私たちはどうしていくかを考えていくべきではないかと考えさせられます。
憲法は国民に対して遵守義務は課してはいないものの、この事について「努力規定」という位置づけで定めてはいるんです。

もっともドイツでは憲法にあたる基本法に対して国民も遵守義務を定めていますから、それぐらいあっても良いのではないかと思いますが。憲法を蔑ろにする国民が国会議員を選ぶってなかなか危ない状態たと思いますので。
民主主義によって民主主義そのものを破壊することもできるというのはナチス政権がよく示していますから。

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