参政党への攻撃は衆愚政治からエリート主義への転換を意図
参政党に攻撃するのは、参政党が衆愚政治の権化のように映っているからのものです。
ここまで衆愚政治を攻撃するのは他ならぬ大衆への不信感であり、この衆愚的な大衆を排除しようとする動きは、エリートに任せておけば合理的な政治ができるという思い込みが前提にあるのではないかと感じます。
共産党が想定している参政党の支持層は中卒、底辺高校卒、Fラン大学卒というような掃き溜め層がコアだという想定です。
中国共産党化するとは…
中国共産党はエリート主義の体制
※中国共産党の説明についてAIを補助的に用いています。
1. メンバーシップの選抜性
- 厳しい入党審査: 中国共産党への入党は容易ではありません。申請者は厳しい審査を受け、政治的な忠誠心、学歴、実績などが評価されます。入党は、社会的な地位やキャリアアップに繋がるため、競争率が高く、選ばれたエリートのみが入党できる傾向があります。
- エリート層の優位性: 党員は、政府、軍、国有企業などの主要ポストを占めており、社会の指導的役割を担っています。特に、高位の党幹部は、政治、経済、社会の各分野で大きな影響力を持っており、エリート層が権力を独占しているという見方があります。
日本共産党ではこの様な選抜的な入党制度はありませんが、そもそも意識の低い人が日本共産党の門戸を叩くことはないので、門戸を叩いている時点でそれなりに意識の高い知的な人が集まっていきます。
2. 幹部育成システムの閉鎖性
- 内部昇進: 中国共産党の幹部は、多くの場合、党内の昇進を通じて選ばれます。このシステムは、外部からの意見や批判を受けにくく、閉鎖的なエリート集団を形成しやすいという批判があります。
- 太子党(プリンスリング): 共産党幹部の子弟(太子党)は、親のコネクションや影響力を利用して、有利な地位を得やすいという指摘があります。これは、機会の不平等を生み出し、エリート層の世襲化を招くという批判があります。
日本共産党では世襲を避けるようになっていますが、地方議員に関しては世襲の人もいます。ただし世襲の弊害(地盤の継承)を避けるために子息は畑違いの地域に飛ばした上で選挙戦を戦わせて議員になっています。
また、幹部育成が脆弱なため後任が育たず志位体制の長期化をもたらしました。現在田村智子が委員長になったのは女性を委員長にせよという下部組織の新婦人や外部のフェミニストの圧力に屈して急遽三役の経験もなしで無理矢理に飛び級人事で据えたため、力不足が否めません。
3. 政策決定過程の不透明性
- トップダウン方式: 中国共産党の政策決定は、党中央の指導部によって行われることが多く、一般市民や専門家の意見が反映されにくいという批判があります。
- 情報統制: 中国共産党は、メディアやインターネットを厳しく統制しており、党に対する批判的な意見を抑圧しています。これは、政策決定の透明性を損ない、エリート層による情報操作を可能にするという批判があります。
これらの問題も現在の日本共産党では抱えており、これは松竹伸幸氏の除名騒動で浮き彫りになってきました。
あたし自身もどこから出てきたのか分からない方針に疑問を感じて議論する機会すらないのかと思いましたし。この変な風潮、特段都内で顕著に出ていることから都委員会が関与しているのかと見ていましたが、ここ最近小池晃氏や山添拓氏、吉良よし子氏(山添氏・吉良氏は東京選挙区からの選出、小池氏もかつては現在山添氏が入っている東京選挙区の枠にいたため、東京を中心にできた問題かと見ていました)の動きが不穏で中央委員会にも及んでいるのではないでしょうか。
4. 社会的格差の拡大
- 経済発展の恩恵の偏り: 中国の経済発展は、一部の地域や階層に偏っており、農村部や低所得層は、その恩恵を十分に受けていないという指摘があります。これは、エリート層が経済的な利益を独占し、社会的な格差を拡大させているという批判に繋がります。
- 汚職問題: 中国共産党内には、汚職や不正蓄財が蔓延しているという指摘があります。これは、エリート層が権力を利用して私腹を肥やし、社会的な公正さを損なっているという批判に繋がります。
日本共産党には金銭的には汚職問題はなく、むしろ金銭的に潔癖であるために政党助成金を拒否しています。一見すると美談のように思えますが、現実は資金繰りが厳しく、選挙ビラ等を印刷した印刷会社への支払いが遅延したりなどしており、一時金カンパで集まったお金の一部を支払いに充当するような有様です。一時金カンパする側も懐事情が厳しくなっているというのに綺麗事ばかり言って未払い金問題を抱えたままにするのはよろしくないです。未払い金のせいで業者が困るので、ここは甘えて政党助成金を受け取ってでも未払い金問題を解決してください。
(地区によっては専従者の給料すら遅配になっていないか心配になってきます。)
補足:
- 中国共産党は、自らを「労働者階級の前衛」と位置づけており、エリート主義的な性格を否定しています。しかし、実際には、上記のような側面から、エリート主義的な傾向が強いという見方が一般的です。
- 中国共産党は、近年、汚職撲滅や格差是正に取り組んでいますが、その効果は限定的であるという指摘もあります。
自らを「労働者階級の前衛」と位置づけており、エリート主義的な性格を否定していることは日本共産党とも共通ですが、そもそもエリート主義になる要因が「労働者階級を啓蒙し正しい道に導いてやる」という上から目線の「前衛党意識」からエリート意識に繋がるという所を見落としている点も共通と言えます。
汚職問題では金銭の問題ではないものの、ジェンダー政策をいの一番で掲げていながらそれと逆行するような千葉県委員会の書記長の不祥事などの汚職問題にも取り組んでいますが、逆にジェンダー政策を隠れ蓑にしたフェミ騎士による不祥事が今後浮き彫りにならないか不安でもあります。
大衆を見下すエリート主義化
エリートだけで選挙をすれば合理的な政治ができるという思いがあるから、エリートだけで投票している中国共産党の政治システムに近づくことになってしまいます。
この背景にあるのは大衆への不信感とも言えますし、参政党への攻撃も参政党に群れる衆愚を粛清することが合理的な政治を実現する道筋とも示唆するようで、これがあるのもエリートが支配した方が効率的だという思いがあるのではないかと勘ぐりたくなります。
ただ、民主主義そのものを否定はしていないので、目指す方向は普通選挙では愚かな国民の票がポピュリズム政党に流れるので、それを阻止するために愚かな国民だけを排除した「制限選挙」による民主主義という方向になるのでしょう。これが中国共産党の党員だけで投票する制度と通じてしまうことになるわけです。
マルクスとブキャナンの悪魔合体
れいわ新選組と参政党をポピュリズムと愚弄した訳
民主主義は赤字を生む「赤字の民主主義」ブキャナン・1979によると
①政治家は選挙のために有権者の望む減税を掲げる傾向
②地元のために予算を取って支持を得ようとする。不利益になる支出削減には消極的。
③増税なしに支出させる方法あるいは、減税しても支出を減らさない方法は赤字国債発行
というのが見られます。
要はポピュリズムとは政治家が当選したくて票欲しさのあまり、国民を甘やかす政策を打ち出して票を釣ることで選挙で有利に立つ事の代償として財政赤字を呼び込むということを非難しているわけです。
れいわ新選組と参政党では濃淡はありますが、共産党が両党をポピュリズムと愚弄したのは③の理由からで、特にれいわ新選組に対するそれは明確的と言えます。日本共産党は政府の財政を家計と同一視して考えており、財政赤字は政府がゼイタクな政策をしているので「倹約好きの主婦」のような考え方(メルケル独元首相の緊縮政策を揶揄する意味としてこの表現を引用)をしておりまた馬鹿真面目に財政法第4条を遵守しようとするため、赤字国債発行を酷く嫌います。そのため財政赤字を防ぐために藤巻健史の掲げている財政トリアージという考え方まで持っています。
ポピュリズムという言葉の用法がブキャナン的で藤巻健史と共通
ポピュリズムを選挙で票を集めるための人気取りでやる国民を甘やかすバラマキ政治と蔑むことでケインズ政策や積極財政を貶める目的で使っているのがいかにもブキャナン的なのです。これは藤巻健史が積極財政をバラマキとポピュリズムという組み合わせで攻撃していることと全く同じで、このバラマキとポピュリズムという組み合わせが先述の「赤字の民主主義」から表れたブキャナン的なものと言えるわけです。
あたしは大学の講義でブキャナンを扱った経済学特講を受けていますが、このブキャナンの主張はケインズを貶めることばかりで胸糞悪い印象しか残りません。割と左翼の経済学の先生は道徳的な側面から財政規律を正すことを健全と見ているせいか、好んでいるように見受けられます。
(道徳的なものに著しく依存するというのはむしろ宗教右翼のように感じますけども。)
財政民主主義を否定
そうなると東大法学部卒が多数を占める「エリートの財務官僚こそが優れた財政政策を立案できる」として、財政は財務省が支配した方が財政規律を正すには都合がいいのではないかと考えるのも無理はないでしょう。
しかし、当の財務官僚が東大「法学部」で多数を占めるということは、経済を専攻していないエリートが財政を担うということを意味しており、これはちょっと変じゃないですか?と思えて仕方がありません。
暴力革命路線に転向したナロードニキの如く思い詰めた
本来現在の日本共産党は緊縮財政・移民歓迎という性格からしてドイツのメルケル的政策に傾倒していると見られます(メルケルの移民歓迎政策も背景に第二次世界大戦における贖罪意識が働いているとも見えます)が、一方現在のドイツでは極右と見做されるAfDが台頭しています。その背景こそが「メルケルがもたらした政策のツケ」による国民の貧困化と「郷に入っては郷に従う」ということをしない移民による治安悪化(「郷に入っては郷に従う」移民は善良に暮らしているので直接的な問題を起こしませんが、やはり移民が安い賃金で雇われることで賃金水準の押し下げや就労機会を奪われることになってしまう問題は残ります)による怒りによるものという所が大きいと言えますが、これを「弾圧すべきだ」と考えているならこれは危険と言えます。戦前・戦中において日本共産党が受けていたことを参政党に被せるようなものです。
ナロードニキが暴力革命路線に転向したのは、いくら民衆を啓蒙してもついてこなかった民衆に対する「絶望」によるものです。ならばこのような意識の低い愚かな民衆に頼らず革命を起こす方向に舵を切ろうとするでしょう。その結果が参政党に対する暴力なのです。
従来の暴力革命路線とは暴力で以て既存の政府を打倒して革命政府を樹立するという風に解釈されていましたが、その様相とは異なり、形式上では民主主義をとっていますが、暴力で以て愚かな民衆を排除した制限選挙による民主主義で実現しようとしていることから暴力の矛先を異にしたものと言えるでしょう。


