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	<title>競争 | Ciel</title>
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	<lastBuildDate>Wed, 05 Nov 2025 15:48:45 +0000</lastBuildDate>
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	<title>競争 | Ciel</title>
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	<item>
		<title>【AIに訊くシリーズ】リベラルが「やけモテ」を好むわけ</title>
		<link>https://ciel.saiyuuki.net/archives/2444</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[まつ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Nov 2025 15:46:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[AIに訊く]]></category>
		<category><![CDATA[フェミニズム]]></category>
		<category><![CDATA[やけモテ]]></category>
		<category><![CDATA[リベラル]]></category>
		<category><![CDATA[公正世界仮説]]></category>
		<category><![CDATA[新自由主義]]></category>
		<category><![CDATA[競争]]></category>
		<category><![CDATA[自己責任論]]></category>
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					<description><![CDATA[AIに訊くシリーズを始めてみました。 「AIに訊いてみた」という側面でのシリーズで、AIと共同作業で文章全体を構成するという試みは別サイトを設けてやってみることにしました。 人の価値を公正に決められる競争とは Googl [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="has-key-color-color has-pink-background-color has-text-color has-background has-link-color is-style-border-radius-s-dotted has-border is-style-triangle-box has-box-style wp-elements-ed2ff7d6ff070dd9fb0c09c29531580d"><span class="fz-24px">AIに訊くシリーズを始めてみました。</span></p>



<p>「AIに訊いてみた」という側面でのシリーズで、AIと共同作業で文章全体を構成するという試みは別サイトを設けてやってみることにしました。</p>



<h1 class="wp-block-heading">人の価値を公正に決められる競争とは</h1>




<a rel="noopener" target="_blank" href="https://share.google/aimode/KnhSQWeGZIgOwn0dr" title="Google Search" class="blogcard-wrap external-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard external-blogcard eb-left cf"><div class="blogcard-label external-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail external-blogcard-thumbnail"><img decoding="async" src="https://s.wordpress.com/mshots/v1/https%3A%2F%2Fshare.google%2Faimode%2FKnhSQWeGZIgOwn0dr?w=160&#038;h=90" alt="" class="blogcard-thumb-image external-blogcard-thumb-image" width="160" height="90" /></figure><div class="blogcard-content external-blogcard-content"><div class="blogcard-title external-blogcard-title">Google Search</div><div class="blogcard-snippet external-blogcard-snippet"></div></div><div class="blogcard-footer external-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site external-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon external-blogcard-favicon"><img decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://share.google/aimode/KnhSQWeGZIgOwn0dr" alt="" class="blogcard-favicon-image external-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain external-blogcard-domain">share.google</div></div></div></div></a>




  <div id="toc" class="toc tnt-number tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2"><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">もくじ</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"></li><li><a href="#toc1" tabindex="0">政府や共同体の調整介入があると「むき出しの競争」にならないから</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">AIの回答</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">所見</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">リベラルがここに傾倒する理由について模索します</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">所見</a></li></ol></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">新自由主義的な自己責任論がリベラルの中に入り込む訳とは</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">新自由主義的な自己責任論の文化的浸透&nbsp;</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">公正世界仮説による格差の正当化</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">リベラルの内部で生じる葛藤と対立</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">結論</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">所感</a></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">ひとこと感想</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">政府や共同体の調整介入があると「むき出しの競争」にならないから</span></h2>



<p>恋愛市場で人を裁きたがるのは、恋愛市場が政府や共同体が一切介入できない領域であるために、真に個人の生まれ持った資質と自助努力が純粋に反映された公正世界仮説に基づいた競争原理が働いているから人を価値を裁くのに合理的と見られているからではないでしょうか？</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">AIの回答</span></h3>



<p>ご提示いただいた「恋愛市場で人を裁きたがるのは、政府や共同体の介入がないため、生まれ持った資質と自助努力が純粋に反映された公正世界仮説に基づく競争原理が働いていると見なされているからではないか」という仮説は、恋愛における価値判断の一側面を鋭く捉えた考察と言えるでしょう。この考え方を支持する心理学的・社会学的要素がいくつか存在します。&nbsp;</p>



<p>この仮説を支持する要素</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>社会的な庇護がない自由競争の場:</strong>&nbsp;経済や教育など、多くの領域では政府や共同体が一定のルールやセーフティネットを設けていますが、恋愛市場にはそうしたルールがほとんど存在しません。このため、自身の努力や魅力によってパートナーを獲得するという、ある種の「むき出しの競争」として捉えられやすくなります。</li>



<li><strong>「公正世界仮説」の適用:</strong>&nbsp;「公正世界仮説」とは、「世の中は公正であり、善い行いをする人には良いことが、悪い行いをする人には悪いことが起きる」という信念です。恋愛市場において、特定の個人がパートナーを見つけられない場合、周囲の人々は「その人には見つけられないだけの理由がある」と無意識的に考えることがあります。これは、その人の性格、外見、努力不足といった「資質」に原因があると見なすことで、自分たちの世界の公正さを保とうとする心理が働くためです。</li>



<li><strong>自己責任論の強化:</strong>&nbsp;社会的な介入がない自由な市場と見なされることで、恋愛における成功・失敗は個人の責任であるという考え方が強まります。その結果、失敗した人に対しては「もっと努力すべきだった」「魅力が足りない」といった、価値を裁くような見方が生まれやすくなります。</li>



<li><strong>「市場価値」という言葉の普及:</strong>&nbsp;婚活ビジネスなどでは、「市場価値」という言葉が頻繁に使われます。これは、個人の年齢、年収、容姿、コミュニケーション能力などを指標化し、あたかも市場での取引のように個人の価値を判断するものです。この言葉が日常に浸透していること自体が、恋愛を競争原理に基づいた価値判断の場と捉える人が少なくないことの表れと言えるでしょう。&nbsp;</li>
</ul>



<p>反対意見や注意すべき点</p>



<p>一方で、この仮説は恋愛市場の複雑な現実のすべてを説明するものではありません。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>公正さの幻想:</strong>&nbsp;恋愛市場の競争が「公正」であるという前提自体が幻想である可能性があります。容姿や生まれ育った環境、経済力など、個人の努力では変えられない要素が恋愛の成功に大きく影響することは少なくありません。にもかかわらず、これを「公正な競争」として捉えることは、格差を固定化する危険性を孕んでいます。</li>



<li><strong>「愛」という非合理な要素:</strong>&nbsp;恋愛は、単純な市場原理やスペックだけで決まるものではありません。相性、タイミング、運命的な出会い、相手への一方的な好意など、非合理的な感情が大きな役割を果たします。これらの要素を無視して合理的な価値判断だけが働いていると考えるのは、恋愛の本質を見落とすことになります。</li>



<li><strong>多様な恋愛観:</strong>&nbsp;恋愛市場の競争原理を受け入れない人々も多く存在します。競争を嫌い、自分のペースで関係を築くことを望む人もいれば、そもそも恋愛に価値を置かない人もいます。価値観が多様化している現代において、恋愛市場が一つの原理だけで動いていると考えるのは現実的ではありません。&nbsp;</li>
</ul>



<p>結論</p>



<p>ご提示の仮説は、恋愛を競争社会の一部として捉える現代の価値観をよく説明しています。特に、<strong>社会的な庇護がない領域で、公正世界仮説と自己責任論が結びつくことで、人々が恋愛市場における他者の価値を裁きたがる傾向が生まれている</strong>という見方は非常に洞察に富んでいます。</p>



<p>しかし、これは恋愛市場の全貌を捉えたものではなく、愛の非合理性や多様な価値観といった要素も考慮に入れる必要があります。この仮説は、現代社会における恋愛の一面を解明する上で有効な視点を提供しつつも、過度な一般化には注意が必要です。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">所見</span></h3>



<p>まぁ、純粋に優劣を決めるための市場競争をするのであれば、調整機構やセーフティネット、敗者復活の道のない冷酷な競争の土俵が必要なので、これらが働かない恋愛市場で優劣を測るのが合理的だからというのもあるでしょう。それこそが「公正」な競争だということです。<br>ただ、AIも現実が見えないのか、「合理的な価値判断だけが働いていると考えるのは、恋愛の本質を見落とすことになります。」という点、生物の生殖競争に由来する生物の本能に基づいた合理的価値判断によって為されているはずです。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">リベラルがここに傾倒する理由について模索します</span></h2>



<p>これをリベラルが積極的に支持することで、自由の代償として格差の固定化を是認するという矛盾を呈しています。</p>



<p>ご指摘の「リベラルが恋愛市場の自由を積極的に支持することで、格差の固定化を是認するという矛盾を呈している」という点は、現代のリベラリズム、特に新自由主義的な潮流が抱えるジレンマを鋭く突いています。</p>



<p>これは、社会の領域を細分化し、それぞれの領域で「自由」を追求するリベラルのアプローチが、全体として見ると矛盾した結果を生む可能性があることを示唆しています。&nbsp;</p>



<p>矛盾の構造</p>



<p>この矛盾は、次のように説明できます。</p>



<ol class="wp-block-list">
<li><strong>自由の追求:</strong>&nbsp;リベラリズムは個人の自由と自己決定権を尊重します。恋愛市場においては、誰と恋愛するか、結婚するかを個々人が自由に選択する「自由恋愛」がその核心となります。</li>



<li><strong>市場の論理:</strong>&nbsp;この自由な選択を積み重ねた結果、恋愛市場は一種の市場原理で動きます。魅力や能力といった「市場価値」の高い個人に機会が集中し、そうでない個人は機会が限定されます。</li>



<li><strong>格差の拡大:</strong>&nbsp;この市場原理は、社会経済的な格差と同様に、恋愛市場における格差を拡大させ、固定化する可能性があります。</li>



<li><strong>矛盾の表面化:</strong>&nbsp;本来、リベラルは経済的・社会的な格差を是正しようと試みる傾向にあります。しかし、恋愛市場においては、自由な選択の結果として生じた格差に対して、その原則を貫くことが難しいという矛盾を抱えます。つまり、「自由恋愛」という個人の自由を尊重するがあまり、その結果として生じる「恋愛格差」という不平等な状況を黙認してしまう、という構図です。&nbsp;</li>
</ol>



<p>矛盾が顕在化する背景</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>社会の私事化と介入の困難さ:</strong>&nbsp;リベラリズムは、個人の生活や感情といった「私的な領域」への政府や共同体の介入に慎重です。恋愛は最も私的な領域の一つと見なされるため、介入すること自体が個人の自由を侵害するというリベラルの原則に抵触します。</li>



<li><strong>新自由主義的な自己責任論:</strong>&nbsp;経済領域で広まった新自由主義的な考え方が、恋愛市場にも影響を与えています。恋愛における成功・失敗も、個人の自己責任と捉えられがちです。これにより、恋愛に恵まれない人々を「努力不足」「魅力不足」と断じる言説が力を持ち、構造的な問題が見過ごされやすくなります。</li>



<li><strong>「公正世界仮説」との親和性:</strong>&nbsp;「公正世界仮説」は、自由な競争の結果として生じた格差を正当化するロジックとして機能しやすい側面があります。恋愛市場も公正な競争の場だと見なせば、成功者は努力が報われた人、失敗者は努力が足りなかった人、と解釈することが可能になります。&nbsp;</li>
</ul>



<p>リベラル内部での対立と課題</p>



<p>もちろん、すべてのリベラルがこの矛盾に無自覚なわけではありません。リベラル内部でも、この問題に対する葛藤や対立は存在します。&nbsp;</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>格差是正を重視する立場:</strong>&nbsp;一部のリベラルは、経済的な格差だけでなく、恋愛市場を含む社会全体の不平等の是正を訴えます。彼らは、個人の自由を真に保障するためには、格差を生み出す社会構造にも目を向けるべきだと主張します。</li>



<li><strong>自由な選択を重視する立場:</strong>&nbsp;一方で、個人の自由な選択こそが社会の多様性を生み出す源泉であり、その結果として生じる格差にまで介入すべきではないと考えるリベラルもいます。</li>
</ul>



<p>結論</p>



<p>ご指摘の通り、リベラルが恋愛市場の自由を支持する一方で、その結果としての格差の固定化を黙認する状況は、リベラリズムの理念に内在する矛盾を浮き彫りにしています。この矛盾は、<strong>「自由」が不平等を生み出す可能性</strong>と、<strong>どこまでを個人の自己責任と見なすか</strong>という、現代社会の根幹に関わる重要な問いを私たちに突きつけています。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc5">所見</span></h3>



<p>キモいオジサンヘイトに見られるような平然とした差別が可能なのはこのような矛盾を露呈させている訳でもあるのですが、<strong>「公正世界仮説」</strong>が正義感のより深いところの根源にあるため、こちらが勝っているのではないかとも思われます。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc6">新自由主義的な自己責任論がリベラルの中に入り込む訳とは</span></h2>



<p>新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透してしまっていないか。</p>



<p>ご指摘の「新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透してしまっているのではないか」という問いは、社会学や政治心理学の分野で活発に議論されているテーマです。多くの論者が、個人の自由を重視するリベラルの思想が、自己責任を強調する新自由主義的な考え方と、公正世界仮説という認知バイアスを通じて、複雑な形で結びついている可能性を指摘しています。&nbsp;</p>



<p>この現象は、以下のような要素によって説明できます。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">新自由主義的な自己責任論の文化的浸透&nbsp;</span></h3>



<p>新自由主義は、単なる経済政策の枠を超え、個人の行動や価値観に影響を与える文化的プロジェクトとして分析されることがあります。&nbsp;</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>「自己実現」のイデオロギー:</strong>&nbsp;新自由主義的な文化では、「自分らしさ」の追求や「自己実現」が強く推奨されます。これはリベラルが重視する個人の自由や多様性と親和性があるように見えます。しかし、その裏側で、個人の成功や失敗が「自己責任」の結果であるという考え方を強化し、社会構造的な要因を軽視させる可能性があります。</li>



<li><strong>「選択の自由」の罠:</strong>&nbsp;新自由主義は、市場における「選択の自由」を強調します。リベラルが個人の選択の自由を擁護するあまり、その選択の結果生じた不平等（恋愛格差など）を、個人の責任に帰する形で是認してしまうという矛盾が生じます。</li>



<li><strong>「市場市民」への変容:</strong>&nbsp;新自由主義は、市民を社会のメンバーとしてではなく、市場で競争する「起業家的自己」へと変容させる働きがあると指摘されています。これにより、本来、相互扶助や連帯を重視するはずのリベラルの価値観が、競争と自己責任の論理に侵食される危険性があります。&nbsp;</li>
</ul>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc8">公正世界仮説による格差の正当化</span></h3>



<p>公正世界仮説は、「世界は公正である」という信念を保つために、被害者や不遇な状況にある人々を責める認知バイアスです。これが新自由主義的な自己責任論と結びつくことで、以下のような形でリベラル層に影響を与える可能性があります。&nbsp;</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>構造的脆弱性の見落とし:</strong>&nbsp;リベラルは本来、社会の構造的矛盾や不平等を問題視する立場です。しかし、公正世界仮説が働くと、貧困、不安定な雇用、恋愛における不運といった問題が、その個人の「努力不足」や「魅力不足」の結果であると解釈され、社会構造の責任が矮小化される可能性があります。</li>



<li><strong>心理的な負担の回避:</strong>&nbsp;公正世界仮説は、不条理な出来事から自分の心を保護する役割も果たします。リベラル層も人間である以上、世の中の不平等や格差の現実に直面した際に、それを個人の責任と解釈することで、心理的な負担を軽減しようとする可能性があります。</li>



<li><strong>エリート層の自己正当化:</strong>&nbsp;高所得者や成功したリベラル層の中には、自分たちの成功を個人の能力や努力の結果だと信じ、不遇な人々を自己責任と見なすことで、自分たちの立場を心理的に正当化しようとする傾向が見られます。&nbsp;</li>
</ul>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc9">リベラルの内部で生じる葛藤と対立</span></h3>



<p>このような新自由主義的自己責任論と公正世界仮説の浸透は、リベラル内部で大きな葛藤や対立を生み出しています。&nbsp;</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>経済格差是正vs個人の自由:</strong>&nbsp;経済格差を是正しようとする動き（例: 貧困層への支援）と、自己責任を前提とした個人の自由を強調する動きの間で矛盾が生じます。</li>



<li><strong>被害者意識の政治化:</strong>&nbsp;ポピュリズムが台頭する中で、一部の層では、被害者であることを政治的に利用する動きが見られます。この背景には、新自由主義的な競争の過酷さからくる心理的負担と、「自己責任」を免れたいという欲求があるとする分析も存在します。</li>



<li><strong>批判的視点の再構築:</strong>&nbsp;この矛盾に気づいた多くの論者や活動家は、新自由主義の論理を批判し、社会構造や連帯の重要性を再認識しようとしています。&nbsp;</li>
</ul>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc10">結論</span></h3>



<p>ご指摘の通り、新自由主義的な自己責任論が公正世界仮説を介してリベラルの中に浸透しているという見方は、多くの社会学や政治学、心理学の研究で支持される分析です。これは、個人の自由を重んじるリベラルの理念が、市場の論理と心理的な認知バイアスによって歪められ、結果として社会的な格差を黙認する方向に作用してしまうという、現代社会の複雑なジレンマを浮き彫りにしています。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc11">所感</span></h3>



<p>選択の自由の罠には、職業選択もあります。時代と共に廃れる業種・職種が存在します。そのような職種に身を置いたのは将来を予測せず、安易に職業選択をした自己責任だとでもいうのでしょうか？<br>基本的に個人主義的自由に立脚しているため、案外自己責任論に流れがちだったりもします。また共同体の調整機構を家父長制的と非難することもあり得ます。そのため格差是正が言うほど機能しなくなる可能性も存在します。<br><span class="bold-red">「個人の自由を重んじるリベラルの理念が、市場の論理と心理的な認知バイアスによって歪められ、結果として社会的な格差を黙認する方向に作用してしまう」</span>という表現が端的に示すものと言えます。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc12">ひとこと感想</span></h2>



<p>かなり含みのある回答でもあり、多くの議論の論点が示唆されたように思えます。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>｢理想の男性像｣を押しつけるのは女性である</title>
		<link>https://ciel.saiyuuki.net/archives/1637</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[まつ]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 12 Feb 2024 12:52:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[フェミニスト]]></category>
		<category><![CDATA[市場原理主義]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛市場]]></category>
		<category><![CDATA[押しつけ]]></category>
		<category><![CDATA[理想のタイプ]]></category>
		<category><![CDATA[競争]]></category>
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					<description><![CDATA[もくじ 実はフェミニストの人ほど強烈なマチズモを抱えている男は強くあるべきとするのは「強い男」を女性が求めるから女性が強い男を求める理由とは男なら「結婚して初めて一人前」この固定観念も実は女性がしがみついて押しつける昔は [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[


<a rel="noopener" target="_blank" href="https://toyokeizai.net/articles/-/183817?page=4" title="40代独身男は｢理想の男性像｣に滅ぼされる" class="blogcard-wrap external-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard external-blogcard eb-left cf"><div class="blogcard-label external-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail external-blogcard-thumbnail"><img decoding="async" src="https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/6/6/1200w/img_6682ce2a2efbbc5aac8304e906b4d7b1106046.jpg" alt="" class="blogcard-thumb-image external-blogcard-thumb-image" width="160" height="90" /></figure><div class="blogcard-content external-blogcard-content"><div class="blogcard-title external-blogcard-title">40代独身男は｢理想の男性像｣に滅ぼされる</div><div class="blogcard-snippet external-blogcard-snippet">10～44歳までの男性の死因の第1位が「自殺」という事実を、ご存じでしょうか？ がん（悪性新生物）でも心疾患でも交通事故でもないのです。45～49歳でも2位ですし、50～54歳でも3位に入ります。表は2015年のデー…</div></div><div class="blogcard-footer external-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site external-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon external-blogcard-favicon"><img decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://toyokeizai.net/articles/-/183817" alt="" class="blogcard-favicon-image external-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain external-blogcard-domain">toyokeizai.net</div></div></div></div></a>





  <div id="toc" class="toc tnt-number tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4"><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">もくじ</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">実はフェミニストの人ほど強烈なマチズモを抱えている</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">男は強くあるべきとするのは「強い男」を女性が求めるから</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">女性が強い男を求める理由とは</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">男なら「結婚して初めて一人前」</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">この固定観念も実は女性がしがみついて押しつける</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">昔は男女とも「結婚して初めて一人前」と言われてきたが</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">何に置き換わったのかと言うと「セックス」なのである</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">男には試練を問われる</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">実はフェミニストの人ほど強烈なマチズモを抱えている</span></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">男は強くあるべきとするのは「強い男」を女性が求めるから</span></h3>



<p>商品市場と理屈は同じで、需要家のニーズに応えなければ当然に売れない。<br>従って売れる商品にするには、需要家のニーズに応えなければならないのは当然のこと。<br>「強い男」を女性が求めているからこそ「選ばれる」ために強くあらねばならないと思うわけ。<br>商品も選ばれないと、買ってもらえない。<br><br>女性から見れば男も売れてナンボの「商品」なのである。<br>ただ、支払われるのは例外を除いて金銭ではなく、「承認」であるが。<br>この「承認」は男の持っている資質によって充分な利益を得た対価として<br>与えられるものであるので、大金だけいくら叩いても買えない代物である。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">女性が強い男を求める理由とは</span></h3>



<p>「男は働くべき」「男は稼ぐべき」「男は家族を養うべき」<br>そして「男は我慢すべき」というのは当然で、<br>更に<span class="bold"><span class="marker-under-red">家事も育児も完璧にと更に条件を付けて抱え込むことを求める</span></span>。<br><br>理由は簡単で、<span class="bold-red">とことん甘やかしてくれるから</span>。<br>男が抱え込めば抱え込むほど、女性は負担から解放されラクになる。<br>お金の心配もなく、家事や育児という労働からも解放されれば<br>実質ニートなわけですから、自由に遊んで暮らせる。<br>女性が自由を謳歌したツケを男に押しつけたいので、その負担能力を求めているわけ。<br><br>今幅を利かせているフェミニストは男女間で共存共栄してこうという意志はなく、<br>男の承認欲求につけ込んで、一方的に寄生していこうという腹でいる。<br>このフェミニストたちは女性が「自由になる」ということというのは、<br>一切の我慢や妥協をせず「ワガママ放題にできる」と解釈しているからだ。<br>酷いものになると法さえも女性を抑圧していると見なし、<br>「法の支配」からも解放されるべきとさえ思っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc4">男なら「結婚して初めて一人前」</span></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc5">この固定観念も実は女性がしがみついて押しつける</span></h3>



<p>女性の自由が尊重されること少しでも条件が合わなければ<br>積極的に拒否できるようになるため、女性の立場は圧倒的に強くなる。<br>男が一人前になれるかは、女性の意志次第ということになるものだから、<br>これ見よがしに女性は足許を見て度を越した要求を突きつけてくるようになる。<br><br>そして女性誌を見るに「男に求める人物像」が膨大化しており、<br>相当に強い男でないと、これらの条件を呑みきることはできないだろう。<br>しかも女性は「妥協したら負け」というスタンスなので、呑みきらないと平行線となる。<br>女性は誰に負けるのかというと、他の女性なのである。<br>他の女性の旦那と比較しては、勝ち負けで一喜一憂するからである。<br><br>女性が男に対して主導権を握るための戦術を組んでいく上で<br>非常に都合のいい価値観なので、手放したくないのは当然だろう。<br>主導権さえ握れば、あとは弱みにつけ込んで利用していくことができる以上は。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc6">昔は男女とも「結婚して初めて一人前」と言われてきたが</span></h3>



<p>今はそこまで言われない。<br>女性も無理して結婚しなくても良くなった。<br>女性が自由になることで妥協する必要がなくなったため、無理して結婚しなくていい。<br>「いい男がいないから」という理由で結婚しないという選択肢が妥協してまで<br>結婚することと比較してデメリットがより小さいとして合理性が認められたからだ。<br><br>上野千鶴子が「おひとりさま」を提唱したのは非婚主義を意図したものではなく、<br>「妥協してまで結婚するな」という事を意図しているもの。<br>女性が妥協して生きていても決して幸せにはなれないという示唆で主張された事。<br>従って上野千鶴子の結婚話で矛盾を指摘して騒いでいる人も見受けられたが、<br>それは的外れな指摘でしかない。<br><br>私は先述の通りという認識だったので、特にこの話には何の驚きもなかった。<br>さしずめ遺産目当てなど何らかの打算があってのことであって。<br>自己中心的で厚顔無恥の極みとも言えるあの上野千鶴子が<br>パートナーに対する愛情なんてものは端から持ち合わせているはずもないが。<br>(マルクス主義を介しているので、唯物思考に振れている影響もある。)</p>



<p>小見出しの通り、男にもそれ程言われなくなった。<br>ただし世間に社会的承認として一人前と認められるための<br>「試練」そのものがなくなったわけではなく、<br>条件のハードルが少し緩和されたものに置き換わっているだけで、<br>女性が一人前になれたかどうかを「裁く」立場にあるという構造自体は変わっていない。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc7">何に置き換わったのかと言うと「セックス」なのである</span></h3>



<p>結婚と違って、中長期的なスキルは「求められる条件」からは省略できるため、<br>短中期的に評価が得られればクリアできるものとして<br>「試練」としてはハードルは下がっているはずである。<br>それさえ乗り越えられないようでは一人前とは到底認められないということだ。<br>ましてや<span class="bold-red">勝ち組の人は中高生のうちにこなせてしまえる</span>ようなものなので、<br>それなりの歳になってもこなせないのなら、<span class="bold-red">どれだけ成長力がないのかと蔑まれる</span>わけだ。<br>故に「童貞」という言葉が最上級の侮辱表現たりうるわけだ。</p>



<p>これが達成できる見込がないと分かると、敢えて結婚を急ぐ人もいるわけ。<br>「セックスレス」という妥協案を引っ提げて。<br>世間では「結婚しているのならそれなりにはしているであろう」という推測を立てられるので、<br>実際にはしていないのだけど、うまく誤魔化せるということがあってこそのもの。<br>子どもができなくて怪しまれても、子どもを作らない主義だと言えば説明はつく。<br><br>ある程度の年齢になるとセックスレスを条件にしないと厳しい。<br>「いい歳したオジサンのくせにまだにセックスしたい」<br>なんて気持ち悪いことこの上ないと多くの女性が思うので、<br>世間体が目的の結婚であるのならば、妥協案としてセックスレスを提示する必要がある。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc8">男には試練を問われる</span></h3>



<p>戦前は徴兵を以て一人前と見なされてきたが、戦後の日本には徴兵制度はない。<br>徴兵に代わる「試練」が求められるようになったからではないだろうか。<br>それだけ、心身の苦痛に耐えぬかないと、一人前の男をして社会は認めないということは<br>相変わらずなのだということである。<br><br>実は勝ち組の人ほど、それらのために人生を犠牲にしてきたのだから、<br>ラクして一人前になろうなんて許せないという思いから守りたい価値観でもある。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>日本は元々、公務員数が非常に少ない部類の国なんです</title>
		<link>https://ciel.saiyuuki.net/archives/155</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[まつ]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 08 Jun 2021 15:21:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[ルサンチマン]]></category>
		<category><![CDATA[優生思想]]></category>
		<category><![CDATA[公務員]]></category>
		<category><![CDATA[性悪説]]></category>
		<category><![CDATA[民営化]]></category>
		<category><![CDATA[競争]]></category>
		<category><![CDATA[競争万能主義]]></category>
		<category><![CDATA[罰でコントロール]]></category>
		<category><![CDATA[解雇]]></category>
		<category><![CDATA[負のモチベーション]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://ciel.saiyuuki.net/?p=155</guid>

					<description><![CDATA[もくじ 競争させないと人は努力しないという性悪説が民営化を煽る先進国と比べても公務員数が非常に少ない部類であるのにリストラ能力が劣っていれば解雇が当然という競争脳が生み出したルサンチマン需要のないものは淘汰されるべきとい [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[

  <div id="toc" class="toc tnt-number tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6"><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">もくじ</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">競争させないと人は努力しないという性悪説が民営化を煽る</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">先進国と比べても公務員数が非常に少ない部類であるのにリストラ</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">能力が劣っていれば解雇が当然という競争脳が生み出したルサンチマン</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">需要のないものは淘汰されるべきという競争脳は民営化も煽る</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">競争脳の正体は性悪説と負のモチベーション理論、そして優生思想</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc1">競争させないと人は努力しないという性悪説が民営化を煽る</span></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc2">先進国と比べても公務員数が非常に少ない部類であるのにリストラ</span></h3>



<p>それにも関わらず、日本では<br>「公務員を削れ！」<br>「公務員給与を下げろ」<br>などというというルサンチマンを煽るプロパガンダが展開されために<br>その感情を手玉に取ったポピュリズム政治の結果、行政の民営化が進み、パソナ等のビジネスが拡大していきました。<br>とりわけ大阪では維新がこれに猛烈にコミットしているため、その影響が甚大です。<br>その結果公立病院の統廃合や人員削減を進めていった結果、大阪こそがコロナ禍で日本一の脆さを見せた都道府県になっているという次第ではありませんか。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc3">能力が劣っていれば解雇が当然という競争脳が生み出したルサンチマン</span></h3>



<p>なぜこうも公務員を削れという流れになったのかというと公務員は内部的な競争で負けたことで排除されるリスクがないからなんでしょうね。<br>一般論で言えば、不祥事でも起こさない限り免職されない。人員余剰が生じても配置転換等で最大限配慮はなされます。</p>



<p><span class="bold">本来ならば民間企業でも解雇の要件として教育訓練や配置転換で活躍の場を捻出する努力があったかを問われてくる</span>のですが、これが<span class="bold">十分に履行されていない</span>ことがルサンチマンを加速する要因でもあります。<br><a rel="noopener" target="_blank" href="https://jinjibu.jp/keyword/detl/289/#:~:text=%E7%B5%8C%E5%96%B6%E4%B8%8D%E6%8C%AF%E3%82%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E7%B8%AE%E5%B0%8F,%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82">こちらのサイト</a>でも整理解雇の4要件として説明されいますが、その2つ目の「解雇回避努力義務の履行」の部分にあたります。</p>



<p>これらの問題の多くがまかり通ってしまっているため、民間ならノルマを達成できなければ解雇というのは慣習上よくあることになっています。<br>更には自己責任論の横行により「解雇回避努力義務の履行」を怠ったことを問題にしないばかりか、結果が全てだという体で「解雇が性急すぎる」ことにさえ肯定的に見られてしまうのです。<br>基本的に公務員だと「解雇回避努力義務の履行」に準拠する措置が受けられるため、この民間との不公平感が大衆のルサンチマンの本懐にあります。<br>しかも労働者側でさえ整理解雇だけではなく、<span class="bold">結果がでなければ解雇されても当たり前という<span class="bold-red">競争脳</span></span>に冒されているのでこの辺の所を問題にしようとも思わないことが少なくありません。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><span id="toc4">需要のないものは淘汰されるべきという競争脳は民営化も煽る</span></h3>



<p>民営化を進めたい連中の話からすれば民営化して回らないのであれば、その事業には需要がないから淘汰されるべきだと言うんですよ。<br>必要なものでも民営化して回らないものなんていくらでもありますよ。<br>例えば水道とかその典型で、インフラ整備の費用が大きいので利益ベースに乗せにくい。<br>それで他国で民営化に移行しても失敗して公営化に戻すという動きになっています。<br><br>とにかく<span class="bold-red">需要のないものは価値のないものだと一刀両断</span>しようとしてしまいます。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><span id="toc5">競争脳の正体は性悪説と負のモチベーション理論、そして優生思想</span></h2>



<p>人間いかなる悪も努力次第では直る、人間は環境や欲望によって悪に走りやすい傾向があることからいかに努力するようムチをいれるかということになってきます。<br><br>そこで出番になるのが「負のモチベーション理論」、簡単に言ってしまえば罰に対する恐怖心を使った動機付けです。<br>この方法は一般的なモチベーション理論と違い、努力して結果を出さないと不利益を与えるという形で追い込むやり方なので、一般的なモチベーションで生じるプラスのインセンティブを支払うコストが生じません。<br>つまりコストを抑えて努力を強いることができるわけです。<br><br>これを支えるのが優生思想で、優勝劣敗、敗者は淘汰されるべきと競争で勝ち抜いたものだけが生き残るべきだという強烈な信念があるため、如何に生き残れるためにとことんムチを入れて努力させようとするわけです。<br>スポーツにおける勝利至上主義の考え方もこれに通じています。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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